エレミヤ書37章1節~21節

神殿破壊される日が間近に迫ったこの時期に、エレミヤは投獄されてしまいます。そんなエレミヤに、未来を知らないゼデキヤ王は神のことばを問うのですが・・

1節:ヨシヤの子ゼデキヤは、エホヤキムの子エコンヤに代わって王となった。バビロンの王ネブカドネツァルが彼をユダの地の王にしたのである。
2節:彼も、その家来たちも、民衆も、預言者エレミヤによって語られた主のことばに聞き従わなかった。

・ゼデキヤ王・・ヨシヤ王の三男。バビロンの傀儡王
※エホヤキム王→エホヤキン王(3か月)→ゼデキヤ王(エホヤキム王の兄弟)
※この時の情勢:エジプト軍がユダ支援のため挙兵し、バビロンは応戦に向かう。このため、エルサレムは一時、包囲が解除されていた。
・王をはじめ、家来、民衆は神に従わず、無視していた。Ⅱ列24:17~19

3節:ゼデキヤ王は、シェレムヤの子ユカルと、マアセヤの子、祭司ゼパニヤを預言者エレミヤのもとに遣わして言った。「どうか、私たちのために、私たちの神、主に祈ってください。」

・ゼデキヤ王は、シェレムヤの子ユカル、マアセヤの子祭司ゼパニヤに命じて、エレミヤに祈りの要請のために派遣した。※ゼパニヤは29:24~32で、偽預言者シェマヤから、エレミヤ投獄の要請を受けたが投獄はしていない。
・突然ゼデキヤ王は悔い改めたような態度を表明。(王の年齢はおよそ32歳)※当時の情勢は、バビロンと緊張状態にあり、苦しい状況からの回避のための行動であった。心からの悔い改めではない。

4節:エレミヤは民のうちに出入りしていて、まだ獄屋に入れられてはいなかった。

・この時点でエレミヤは、まだ投獄されておらず、行動は自由であった。 

5節:また、ちょうど、ファラオの軍勢がエジプトから出て来たので、エルサレムを包囲中のカルデア人は、そのうわさを聞いて、エルサレムから引き揚げたときであった。
6節:そのとき、預言者エレミヤに次のような主のことばがあった。

・エジプトに応戦の為、バビロンはエルサレムの包囲を解いてエジプトに向かった。
※BC588年の夏、エジプトはゼデキヤの要請に応じて北上。
※エジプトのファラオはホフラ→44:30
・そのような状況下で、神はエレミヤに語られた。

7節:「イスラエルの神、主はこう言われる。わたしに尋ねるために、あなたがたをわたしのもとに遣わしたユダの王にこう言え。『見よ。あなたがたを助けに出て来たファラオの軍勢は、彼らの地エジプトへ帰り、
8節:カルデア人が引き返して来て、この都を攻め取り、これを火で焼く。

・神がゼデキヤに語ることば。
・エジプト軍はエルサレムに一時の救済を与えるだけで、エジプトに撤退する。
・バビロンは引き返すと、エルサレムを破壊し、火で焼き払う。

9節:主はこう言われる。あなたがたは、カルデア人は必ず私たちのところから去る、と言って、自らを欺くな。彼らが去ることはないからだ。

・「自らを欺くな」とは、ゼデキヤ王に「偽預言者に騙されるな!」という神の警告。
・偽預言者はバビロンは撤退すると言うが、神はバビロンが戻ってくると示される。

10節:たとえ、あなたがたが、あなたがたを攻めるカルデアの全軍勢を討ち、そのうちに重傷を負った兵士たちだけが残ったとしても、彼らはそれぞれ、その天幕で立ち上がり、この都を火で焼くようになる。』」

・「もしもあなたがたがバビロン軍を打ち砕いたと思っても、再起してこの街を焼く」。
※どんなに優勢だと思えても、バビロンは必ずせめて滅ぼすということの強調表現。
些細なことで、バビロンは攻めて来ないと思ってしまう愚か者たちよ!たとえお前たちがバビロンを叩きのめしたと思っても、彼らはまたやって来て、お前たちを必ず滅ぼす。
なぜなら、お前たちは神の裁きに遭っているからだ!

11節:カルデアの軍勢がファラオの軍勢のゆえにエルサレムから引き揚げたとき、
12節:エレミヤは、エルサレムから出て行き、ベニヤミンの地に行った。民の間で割り当ての地を受け取るためであった。

・バビロン軍はエジプト軍への対応の為、エルサレムの包囲を解除した。
・城外への出入りが可能となり、エレミヤはベニヤミンへ旅することになった。
・目的は、ある土地の自分の持ち分(割り当て地)の取得の為であった。
※32:33の従兄弟の土地買取とは別件。→32章はエレミヤが監視下の身であった。

13節:彼がベニヤミンの門に来たとき、そこにハナンヤの子シェレムヤの子の、イルイヤという名の当直の者がいて、「あなたはカルデア人のところへ落ちのびるのか」と言い、預言者エレミヤを捕らえた。

・エレミヤがエルサレムを出るベニヤミンの門で逮捕される。

・イルイヤ(ハナンヤの子シェレムヤの子)は、警備隊長。
・彼はエレミヤが敵(バビロン)に寝返ったと誤った判断をした。→エレミヤが日頃から、バビロンに降伏するように預言していたから。

14節:エレミヤは、「違う。私はカルデア人のところに落ちのびるのではない」と言ったが、イルイヤは聞かず、エレミヤを捕らえて、首長たちのところに連れて行った。
15節:首長たちはエレミヤに向かって激しく怒り、彼を打ちたたき、こうして書記ヨナタンの家の牢屋に入れた。そこが獄屋になっていたからである。

・エレミヤは無実を主張するも、イルイヤは聞かず、彼を首長たちの所へ連行した。首長たちは激怒し、彼を殴打した。裁判も無く投獄。
※26:16~24、36:11~25の首長たちと、この首長たちは性質が異なる。
・26章、36章の時の首長たちはエレミヤに好意的。
・彼らは、BC597年の第二次捕囚によってバビロンへ行き、ここにはいない。
※入れ替わった首長たちは、預言者を抹殺しようとして行動している。
・「書記ヨナタンの家の牢屋」・・仮の牢獄にエレミヤは収監された。

16節:エレミヤは丸天井の地下牢に入れられ、長い間そこにいた。

・「丸天井の地下牢」・・(へ)beit habor 「貯水槽の家」を意味する。
※家とはいっても、人の住むところではない。この時エレミヤは65~70歳。
・投獄期間・・「長い間」との記載から、何日も・・。

17節:ゼデキヤ王は人を遣わして、彼を召し寄せた。王は自分の家で彼にひそかに尋ねて言った。「主から、おことばはあったか。」エレミヤは「ありました」と言った。そして「あなたはバビロンの王の手に渡されます」と言った。

・この状況下のエレミヤに、ゼデキヤ王は人を遣わして彼を連れ出した。
・「自分の家でひそかに(エレミヤに)尋ねて言った」・・2度目の質問
※「ひそかに」は、首長たちに気遣っている様子を表し、王の弱さを示す行為:エホヤキム王とは対照的。
※エレミヤは投獄されていたのだが、王の質問に預言者として毅然として答える。
・ゼデキヤ王のバビロンによる捕囚は不可避。※彼の運命は決定している。→32:4~5、34:3参照。

18節:エレミヤはゼデキヤ王に言った。「あなたや、あなたの家来たちや、この民に対して、私にどんな罪があったというので、私を獄屋に入れたのですか。

・エレミヤは質問を二つ、王に投げかける。
①獄屋に入れられたのは、王の家来や民に対してどんな罪があったからか?

19節:あなたがたに対して『バビロンの王は、あなたがたとこの地を攻めに来ない』と言って預言していた、あなたがたの預言者たちは、どこにいますか。

②「バビロンは攻めて来ない!」と預言した者たちは今、どこにいるのか?
※すでにバビロンは包囲戦を繰り広げ、彼らの預言は偽であることが明確だった。

偽預言者は律法により処刑のはずが市中を自由に活動し、正しい預言をしたエレミヤが厳しい状況に追いやられているのはどういうわけか?
正当性を主張し、王に助けを求める要請へと繋げるエレミヤ

20節:今、わが主君、王よ、どうか聞いてください。どうか、私の願いを御前に受け入れ、私を書記ヨナタンの家へ帰らせないでください。私がそこで死ぬことがないようにしてください。」

・エレミヤは、この牢獄が自分を殺すためのものと察していた。
・エレミヤは王に、再度書記ヨナタンの家の牢に送らないよう嘆願した。
※明らかに首長たちは、老年のエレミヤが牢で死ぬことを期待していた。

21節:ゼデキヤ王は命じて、エレミヤを監視の庭に入れさせ、都からすべてのパンが絶えるまで、パン屋街から毎日パン一つを彼に与えさせた。こうして、エレミヤは監視の庭にとどまっていた。

・エレミヤの嘆願は王に届き、エレミヤは「監視の庭」に移された。詳細は不明。
・パンが与えられることで、命の心配はなくなった。
※この庭は、厳格な拘束を必要としない囚人用であった。
・ここからエレミヤの「監視の庭」での出来事へと連動して行く。37章でエレミヤは監視の庭に移って、32章、33章、38章という繋がりになる。

『恐れるな!の意味』
・37章でエレミヤは、まさに死の淵に追いやられます。年齢は60代後半。そんな年齢で地下牢に閉じ込められ、すべてが止まり、まさに死の宣告です。彼はどれほど神に祈ったことでしょう。
・しかし、変化が訪れます。神の導きは突然で、ゼデキヤ王が彼を連れ出します。彼は預言者としての使命を全うしつつ、王に正義を示し、結果、彼は命の危機から救われました。
・神は「恐れるな!」と言われます。この意味は、神が共にいることを忘れるな!という教えです。神に信頼せよ!あなたは一人ではない!神に見守られている「神の子」であることを覚えよ、との意味です。
・世は苦しみや困難を投げつけてくる存在ですが、それをしっかり認識しつつ、神と対話し信頼して恐れることなく霊的成長の道を、一歩一歩、皆と歩んで行きましょう。
「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」ヨハネ 16章33節 

 

2026年02月12日