エレミヤ書33章1節~26節

1節:エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められていたとき、再びエレミヤに次のような主のことばがあった。

・「再び」・・1~9節は前の章を受けて書かれている。(BC587年となる)
※バビロン捕囚からの解放とともに、イスラエルの民の回復が語られる。

2節:「地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方が言われる。
3節:『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』

・創造主なる神、不可能のない神のことば、指示。
・民の理解の及ばない大いなることを尋ねるが良い!未来を教えよう。(約束)

4節:まことに、イスラエルの神である主は、敵の塁や剣に対抗するために取り壊された、この都の家々と、ユダの王たちの家々について、こう言われる。
5節:『彼らはカルデア人と戦おうとして出て行くが、わたしの怒りと憤りによって打ち殺された屍をその家々に満たす。それは、彼らのすべての悪のゆえに、わたしがこの都から顔を隠したからだ。

・エルサレムの近未来・・敵の包囲に対して、王や住民の家々を壊し、防御塚を作る。
・そんな防御を破ってカルデア人は壊れた家々に死体の山を築く。
※神の裁きゆえに、町を守ることは不可。
・原因はイスラエルの民全体の悪・・神への裏切り。
※決定事項ということ。神殿破壊が間近に迫っている。

6節:見よ。わたしはこの都に回復と癒やしを与え、彼らを癒やす。そして彼らに平安と真実を豊かに示す。
7節:わたしはユダとイスラエルを回復させ、以前のように彼らを建て直す。

・「大いなること」・・未来預言が語られてゆく。
・エルサレムとイスラエルの民に健康を与えると約束されている。
・ユダとエルサレムの財産を回復し、両家を再建するという約束。

8節:わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしに背いたすべての咎を赦す。

・神は民のすべての罪を赦すと宣言。
・罪を示す3つのヘブル語・・①avon 不義、②chatah 罪、③pashar (律法)違反

9節:この都は、地のすべての国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり、栄えとなる。彼らは、わたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの都に与えるすべての祝福と平安のゆえに恐れ、震えることになる。』」

・民が赦されるその日・・神にとってイスラエルは喜びの民、名誉の民となる。
※異邦諸国にとっては、神によるイスラエルの復活は、恐れ震える時となる。

10節:主はこう言われる。「あなたがたが、人も家畜もいない廃墟と言うこの場所で、人も住民も家畜もいない、荒れすたれたユダの町々とエルサレムの通りで、
11節:楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が、再び聞かれるようになる。彼らは言う。『万軍の主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで』と。わたしがこの地を回復させ、以前のようにするからだ──主は言われる。」

・エルサレムは荒廃する。生命が存在しないほどに。遠未来預言。
・しかし、そんな地に歓喜の声が上がり、感謝のいけにえを捧げる声が響くことになる。
※「主に感謝せよ!」の声。
・前の裁きは逆転して歓喜の声。新婚の声も聞こえる。→神が回復させるという宣言

12節:万軍の主はこう言われる。「人も家畜もいない廃墟であるこの場所と、そのすべての町に、群れを伏させる羊飼いたちの住まいが再びできる。
13節:山地の町々でも、シェフェラの町々、ネゲブの町々、ベニヤミンの地、エルサレムの近郊、ユダの町々でも、群れが再び、数を数える者の手の下を通り過ぎる──主は言われる。」

・人も家畜もいない土地の町々に羊飼いの人々の住まいが回復する。
※羊飼いは群れを伏させる。→世界離散した人々の帰還をイメージさせる表現。
※神は全ての人々の帰還を確認している様子。(一頭一頭数を数える・・)
※土地の説明は32章と同じ。語られる順番が違い、外→内に言及されている。

14節:「見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみの約束を果たす。

・「見よ、その時代が来る」・・遠未来預言。
※イスラエルとユダの両家に、果たされる約束が語られる。(契約の保証)

15節:その日、その時、わたしはダビデのために義の若枝を芽生えさせる。彼はこの地に公正と義を行う。
16節:その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの都は『主は私たちの義』と名づけられる。」

・「ダビデ契約」の成就。
・「その日、その時」・・メシア的王国を示している。
・「ダビデのための義の若枝」・・メシアなるイエス様の事。正義と公正を実施。
・「その日」・・ユダとエルサレムに平安が実現する日→都の名は「主は私たちの義」。
※33:15~16は23:5~6とほぼ同じ内容。


17節:まことに主はこう言われる。「ダビデには、イスラエルの家の王座に就く者が断たれることはない。
18節:また、レビ人の祭司たちには、わたしの前で全焼のささげ物を献げ、穀物のささげ物を焼いて煙にし、いけにえを献げる者が、いつまでも絶えることはない。」

・ダビデの永遠なる約束が示される。
ダビデの子孫から永遠なるメシアが出ることで、それは成就する。
・合わせて、レビの祭司職も永続することが示される。
※エゼキエル40~48章で、新しい神殿とレビたちの役割が示されている。

19節:エレミヤに次のような主のことばがあった。
20節:主はこう言われる。「もしもあなたがたが、昼と結んだわたしの契約と、夜と結んだわたしの契約を破ることができ、昼と夜が、定まった時に来ないようにすることができるのであれば、
21節:わたしのしもべダビデと結んだわたしの契約も破られ、ダビデにはその王座に就く子がいなくなり、わたしに仕えるレビ人の祭司たちと結んだわたしの契約も破られる。
22節:天の万象は数えきれず、海の砂は量れない。そのようにわたしは、わたしのしもべダビデの子孫と、わたしに仕えるレビ人を増やす。」

・神の契約の確実性がエレミヤに示される。
・神が定めた昼夜のシステムの約束(covenant of uniformity)は破られない。
・従って、ダビデ契約もレビの祭司職の契約も破られることはない。
※民25:10~13→ピネハス契約(永遠の祭司の契約)→8つの契約には含まれない。。
・天の星、海の砂のごとく、ダビデの子孫とレビ人を増やすと、神は宣言する。

23節:エレミヤに次のような主のことばがあった。
24節:「あなたはこの民が、『主は自分で選んだ二つの部族を退けた』と話しているのを知らないのか。彼らはわたしの民を侮っている。『自分たちの目には、もはや一つの国民ではないのだ』と。」

・神のエレミヤへのことば。→検討、考察の要求。
※イスラエルの民は、神は二つの部族(両家)を捨てたと言っているが、どう思うか。
・さらに一部の異邦人は、「もはや一つの国民ではない」と侮る発言をしている。

25節:主はこう言われる。「もしも、わたしが昼と夜と契約を結ばず、天と地の諸法則をわたしが定めなかったのであれば、
26節:わたしは、ヤコブの子孫とわたしのしもべダビデの子孫を退け、その子孫の中から、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選ぶということはない。しかし、わたしは彼らを回復させ、彼らをあわれむ。」

・「昼と夜の契約」・・創1:1~5・・創造の御業の確実性(変わりなく続く宇宙の運行)
※「もしも」・・反語的表現・・「そんなことはない」という意味の強調。

・昼夜のシステムが確実なように、ダビデの子孫からイスラエルの民を治めるメシアを出す。
・神は確実にイスラエルの民を世界中から回復させ、帰還させ、あわれまれる。
ここで「慰めの書」は終わる

 

『神の子の歩み』
・神はイエス様を通して新しい契約を発動させ、我々は聖霊を心に受け、義なる者とされて、神が据えた新しい道を歩んでいる。どんな罪も赦され、栄光の未来が約束されている。
・神は、かつてモーセの律法を与え、罪を示し祝福と裁きを明確にした。しかし人はそれを守らず、信仰さえ捨てる結果となった。規則は人を信仰から離れさせ、神を見失わせてしまう。
・新しい契約はモーセ契約とはそのアウトプットが真逆。罪を示すのではなく、罪の赦し、神の愛を無制限に与える契約ではないか!そのうえで新しい道が我々の前に与えられている。
・この道は「神の子」に与えられた道。神は私たちに神の子にふさわしい歩みを期待されている。それぞれヘの期待が何かを「学び」を通して悟り、また「様々な機会」を通して応答してゆきましょう。
「わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。(中略) わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」ヨハネ 15:10~12  

2026年01月02日