エレミヤ書32章16節~44節

神殿破壊の前年であるBC587年頃に、エレミヤは従兄弟のハナムエルから、ほとんど無価値の土地を購入する。その購入に意味があることを、エレミヤは悟っていた。

16節:私は、購入証書をネリヤの子バルクに渡した後、主に祈った。

・バルクに証書を渡して後、エレミヤは神に祈った。
※土地の無価値は決定的で、愚かな行為と見えるが、悟りを信じてエレミヤは祈る。

17節:『ああ、神、主よ、ご覧ください。あなたは大いなる力と、伸ばされた御腕をもって天と地を造られました。あなたにとって不可能なことは一つもありません。
18節:あなたは、恵みを千代にまで施し、父たちの咎をその後の子らの懐に報いる方、大いなる力強い神、その名は万軍の主。
19節:そのご計画は大きく、みわざには力があります。御目は人の子らのすべての行いに開いていて、それぞれにその生き方にしたがい、行いの結ぶ実にしたがって報いをされます。

・祈りの前には神への賛美がなされる。創造主なる神に不可能はない、という思い。
・神の恵みと正義が説明される。出エジ20:5~6が元になっている。
・神の全知全能性について言及。神は人の行いをすべて把握し、報いを与えている。

20節:あなたはエジプトの地で、また今日までイスラエルと人々の間で、しるしと不思議を行い、ご自分の名を今日のようにされました。
21節:あなたはまた、しるしと不思議と、力強い御手と伸ばされた御腕と、大いなる恐れをもって、御民イスラエルをエジプトの地から導き出し、
22節:あなたが彼らの父祖たちに与えると誓ったこの地、乳と蜜の流れる地を彼らに与えられました。

・あのエジプト脱出の奇蹟から今日に至るまで、神の存在を示してこられた。
・出エジ6:6~7がベースとなって語られている。エジプトから脱出させた。
・神はイスラエルを、ヨシュアのもと約束の地に導き、祝福の土地を与えられた。

23節:彼らはそこに行って、それを所有しましたが、あなたの声に聞き従わず、あなたの律法に歩まず、あなたが彼らにせよと命じたことを何一つ行わなかったので、あなたは彼らを、このすべてのわざわいにあわせられました。

・こうした神の祝福を蔑ろにしたイスラエルの民。
・律法に従わず、神に反し、神を無視する愚行の民イスラエル。
・その結果が、イスラエルの民に今、もたらされている。

24節:ご覧ください。この都を攻め取ろうとして、塁が築かれました。この都は、剣と飢饉と疫病のために、攻めているカルデア人の手に渡されようとしています。あなたのお告げになったことは成就しました。ご覧のとおりです。

・わざわいはバビロン軍による包囲。
・エレミヤは、「剣・疫病・飢饉によってエルサレムがバビロンに渡される」と預言。
※まさに周囲は、その実現の一歩手前の状態を呈していた。

25節:神、主よ。この都がカルデア人の手に渡されようとしているのに、あなたは私に、金を払ってあの畑を買い、証人を立てよ、と言われます。』」

・この都がまさにバビロンの手に渡る状況で、何故畑を買えと言われるのか?
※エレミヤの悟りは正しいのだが、あまりにも切迫した状況であり、 さらなる確信のために、神に祈りをささげたのであろう。

26節:すると次のような主のことばがエレミヤにあった。
27節:「見よ。わたしはすべての肉なる者の神、主である。わたしにとって不可能なことが一つでもあろうか。
28節:それゆえ──主はこう言われる──見よ。わたしはこの都を、カルデア人の手と、バビロンの王ネブカドネツァルの手に渡す。彼はこれを攻め取る。

・エレミヤの祈りに対する神の応答。
・神の全知全能性の確認。神の主権が示される。・・すべての肉なる者の支配者。
※28~35節→神のエルサレムを裁く力を示す。
※36~44節→神のエルサレムを回復する力を示す。
・エルサレムは間もなく占領されるという宣言。神は「バビロンに渡す」と表現。

29節:また、この都を攻めているカルデア人が来て、この都に火をつけて焼く。また、人々が屋上でバアルに犠牲を供え、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いで、わたしの怒りを引き起こしたその家々にも火をつけて焼く。

・捕囚され、さらに町が焼かれることが示される。
※偶像礼拝して神を怒らせた家々を焼き払われる。
※神のみこころに完全に反するイスラエルの民への裁き。

30節:なぜなら、イスラエルの子らとユダの子らは、若いころから、わたしの目に悪であることを行うのみであったからだ。実に、イスラエルの子らは、その手のわざをもってわたしの怒りを引き起こすばかりであった──主のことば──。

・家を焼くのは、イスラエルとユダの先祖からずっと偶像礼拝で神を怒らせていたから。
※現在も、変わらないイスラエルの民。

31節:この都は、建てられた日から今日まで、わたしの怒りと憤りを引き起こしてきたので、わたしはこれをわたしの顔の前から取り除く。

・「この都市は、建てられた日から今日まで、・・」⇒いつ建てられたかについては色んな説がある。

…この都市は神の怒りを引き起こしてきた。

32節:それは、イスラエルの子らとユダの子らが、すなわち、彼ら自身と、その王、首長、祭司、預言者、またユダの人、エルサレムの住民が、わたしの怒りを引き起こすために行った、すべての悪のゆえである。

・神の怒りを引き起こしたのは、イスラエルとユダの子ら。
・王や首長、祭司、預言者、そして住民と、イスラエルの民全体がその主犯。

33節:彼らはわたしに背を向けて、顔を向けず、わたしがしきりに教えても聞かず、懲らしめを受け入れなかった。

・神が与えた律法、預言者に積極的に逆らい、神に背を向けた。
※神の「しつけ」を拒否したイスラエルの民。

34節:彼らは、わたしの名がつけられている宮に忌まわしいものを置いて、これを汚し、
35節:ベン・ヒノムの谷にバアルの高き所を築き、自分の息子、娘たちに火の中を通らせてモレクに渡した。しかしわたしは、この忌み嫌うべきことを行わせてユダを罪に陥らせようなどと、命じたことも、心に思い浮かべたこともない。」

・彼らは、神の神殿に忌まわしい偶像を置いた。エゼ8章。
・それどころか、ベン・ヒノムの谷で人をいけにえとして偶像にささげ、神の怒りを煽った。
※バアル礼拝→モレク神への人身御供。
※基本はバアル礼拝→豊穣祈願。危機状態になりモレク神への人身御供へ。 モレク礼拝はバアル礼拝と同一場所で行われた。→さらに悪化した考え方となった。
※神には、人をささげものにする意図は、微塵もない。

36節:それゆえ今、イスラエルの神、主は、あなたがたが、「剣と飢饉と疫病により、バビロンの王の手に渡される」と言っているこの都について、こう言われる。
37節:「見よ。わたしは、かつてわたしが怒りと憤りと激怒をもって彼らを散らしたすべての国々から、彼らを集めてこの場所に帰らせ、安らかに住まわせる。

・イスラエルの罪のゆえに、剣・疫病・飢饉によりバビロンに渡すことになったイスラエル。
・その神が今語ることは、何か。
・神は世界に離散させた民を帰還させ、平安に生活させると、宣言された。

38節:彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
39節:わたしは、彼らと彼らの後の子孫の幸せのために、わたしをいつも恐れるよう、彼らに一つの心と一つの道を与え、

・神とイスラエルの民との完全な回復を示す。メシア的王国の確立。
・「心」・・(ヘ)lev・・人間の内部、「道」・・(ヘ)derech・・外部、を意味する。
・彼らと彼らの子孫への、内側と外側を義とする約束。→新しい契約に合致。
※民は神を恐れ、彼らは義とされる本来の関係。 →千年王国で、ユダヤ人は全員が救われることを意味している。

40節:わたしが彼らから離れず、彼らを幸せにするために、彼らと永遠の契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないように、わたしへの恐れを彼らの心に与える。
41節:わたしは彼らをわたしの喜びとし、彼らを幸せにする。わたしは、真実をもって、心と思いを込めて、彼らをこの地に植える。」
42節:まことに、主はこう言われる。「わたしがこの大きなわざわいのすべてを、この民にもたらしたように、わたしは、今彼らに語っている幸せのすべてを彼らにもたらす。

・新しい契約は、永遠の契約である。→モーセ契約は一時的。
※神を恐れる心は、彼らの心から永遠に消えることはない。
・神は、精神、肉体、物質のすべての「善」を、民に付与する。申30:8~10。
・神は、裁いた民を、メシア的王国で回復させ祝福されると、宣言される。
※置換神学で言う、イスラエルから教会へ祝福が移ったということにはならない

43節:あなたがたが、『この地は荒れ果てて、人も家畜もいなくなり、カルデア人の手に渡される』と言っているこの地で、再び畑が買われる。
44節:ベニヤミンの地でも、エルサレムの近郊でも、ユダの町々でも、山地の町々でも、シェフェラの町々でも、ネゲブの町々でも、人々は金で畑を買い、証書に署名して封印し、証人を立てるようになる。わたしが彼らを元どおりにするからである──主のことば。」

・無価値なベニヤミン、エルサレム、ユダ、山地、低地(シェフェラ)、ネゲブの町々。
・神がこれらの土地が再び価値を回復し買われるようにされる。エレミヤがしたように。
・「彼らを元どおりにする」・・商業活動が再開される。→神が回復される。
今は無価値なイスラエルの民も、最終的には価値ある民として回復させると神は宣言!

 

『新しい契約と霊的成長』
・エレミヤはこの時、およそ65~70歳。これまで、象徴的な行動を神に示され、必死に応答してきた。遠い大河まで出かけた時もあれば、くびきを着けよと言われたこともあった。
・今回エレミヤは、神の短期的な預言に神の意図を感じ取って、自ら行動を起こし、民の面前で神のみこころを示した。これは新しい契約の原理が示された霊的成長のサンプルではないか。
・ディボーションの時だけではない。神は私たちの成長を、どんな時も期待しておられる。私たちが寝ている時も、神はその夢を用いて成長させようとしておられることを自覚しよう!
・私たちはすでに霊的成長のプロセスを歩んでいる。霊的成長とは、内住する聖霊の導きに対して、信仰による謙虚さと従順によって応答する、新しい契約の実践である。
「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」コリント 第2 3:6  

 

2025年12月25日