エレミヤ書31章31節~34節〈新しい契約について〉

「新しい契約」は、

 わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。
この一文で、新しい契約は個人が適用の対象となることが分かる。個人に聖霊が与えられて、それが「心に律法が書き記される」ということになる。
では、心に書き記されるのはいつ?⇒この聖霊の付与は、キリストの十字架の血によって発動する。つまり個人に対する霊的祝福が発動されるということである。これが「奥義」として、旧約時代には隠されていた。
 彼らはもはや、・・・・「主を知れ」と言って教えることはない。彼らがみな、・・・・わたしを知るようになるからだ―主のことばー。
心に書き記す律法である聖霊の付与によって、最後の患難時代のイスラエルの民全体が救われることを意味する。民族的救いである。
この御業以降、イスラエルの民から御子を信じる信仰が失せることはなくなる。

「新しい契約」の特徴について

①神が主導して締結された契約→「わたしが・・」を多用。無条件契約である。
②神がイスラエルと結んだ契約。(教会、異邦人は不締結)
心に刻まれる内的契約。・・外見やしるし以上のもの。精神的な側面が示された。
④個人への適用・・契約はイスラエルの民全体で、適用は個人である。
⑤ユダヤ人には最終的に全員が救われる普遍的効果がある。
⑥罪の赦しが契約の礎・・メシア拒否の罪が赦されて、イスラエルの民は救われる。

 

イスラエルの契約についての豆知識

聖書にある8つの契約の中で、神がイスラエルと契約を結んだものは次の5つ。
アブラハム契約、モーセ契約、土地の契約、ダビデ契約、新しい契約
①アブラハム契約、②土地の契約、③ダビデ契約、④新しい契約⇒無条件契約
※アブラハム契約は、土地、子孫、霊的祝福の3つの側面を構成する。
※②、③、④の契約は、それぞれ3つの側面の詳細を説明する契約。
※物質的な祝福(②、③)は、ユダヤ人だけが対象。しかし、霊的祝福は、アブラハム 契約の流れから、ユダヤ人とともに、異邦人にも適用される。
注:「霊的祝福」・・救い・義認・赦し・聖霊・神との関係回復・霊的立場を指す。
※異邦人は、契約の当事者ではないので、この祝福に与る者として祝福を受ける
※新しい契約では、与る者の特権が明示されることになる。

⑤モーセ契約⇒条件付き契約(一時的な契約 ガラ3:19)
※守れば祝福、守らねば呪い。→義の学び、罪の学び→罪の支配。
※モーセ契約により、その祝福はイスラエルに限定された。(異邦人は改宗が必要)
注:救いはいつの時代も「恵みに応答する信仰」。(ラハブ、ルツ、ナアマン)
※異邦人との間に「隔ての壁」を置いた。→神の民を異邦人から守るため、壁を設けた
※この律法を守ることで、イスラエルは神の民としての良き手本となり、神を示す。
※しかし、守らねば異邦人と同様になってしまうというもの。 

メシアによってモーセ律法は成就され終了

※「隔ての壁」はイエスの十字架で壊され、イスラエル人限定の律法は解除された。
※隔ての壁の廃棄で、ユダヤ人と異邦人の間の垣根が取り除かれた。
※①~④の契約のもと、メシアを信じる信仰による救いが啓示された。
※アブラハム契約の霊的祝福である新しい契約が発動。(物的祝福はユダヤ人)
→個人的救いの道が、全人類に等しく示された。
→イスラエルの民全体の民族・国家的救いは患難時代の最後。土地の契約も同じ。
モーセの律法が取り除かれ、ユダヤ人と異邦人が、アブラハム契約の詳細となる新しい契約による聖霊の内住という霊的祝福を受けて教会を形成するのです。

 

「新しい契約」と教会との関係について

■「新しい契約」は、一般にイスラエルから教会へ神の祝福が移ったと言うが・・
・エペソ2:14に見る、ユダヤ人と異邦人の間にある、「隔ての壁」(敵意)の消失。
※置換神学→イスラエルと教会が一つ→霊的イスラエル、真のイスラエル。
※ディスペンセーション神学→イエスの十字架でモーセの律法は終了。→イエスを信仰することにより、ユダヤ人も異邦人も、霊的祝福を得ることができる
置換神学は、「隔ての壁」を民族的区別(隔て)とし、その消失によってイスラエルの民が教会と一つになり、イスラエルのアイデンティティが無くなったとする。一方、ディスペンセーション神学は、壁の消失はモーセの律法の終了であり、救いの道が両者に等しく示されたとする。
■「新しい契約」がもたらすもの

・共同相続人→教会は契約の引き継ぎ者ではなく、祝福に「与る者」。エペソ3:6
・新しい人→ユダヤ人と異邦人が一つとなって神に従い仕える人となる。エペソ2:15

 

「新しい契約」のまとめ

■契約の締結は、他の契約と同様に、神とイスラエルで交わされたもの
教会は、この契約の当事者ではない。契約の祝福に与る存在。
・物質的な祝福はユダヤ人に属すが、霊的祝福はユダヤ人の枠を超えて異邦人の世界に及ぶものとなった。 
■教会は、アブラハム契約の霊的祝福を受けている所と言える。
・今、私たちはこの神の恵みによって、霊的祝福に導かれたことを覚えましょう。
アブラハム契約はメシア的王国で成就し、その条項にある異邦人の救いも成就します。その救いは新しい契約に従って、すでにこの教会時代に実行されているのです。私たちに与えられている聖霊の内住は、エレミヤ時代の神の約束の成就なのです!

 

『気付きの恵み』
・新約聖書とは、新しい契約、約束という意味であり、まさに今回の「新しい契約」によって異邦人に救いが示されたという、我々にとって画期的なテーマが記されている。
・その契約の内容を見ると、契約の当事者は神とイスラエルであるということをはじめ、新約聖書ではわかりにくいことが、旧約聖書から読み取れる。学びの必要性を痛感する。
・私たちが認識すべきは、私たちがこの契約に与れるのは、基本的には神の人類全体に対する憐み、愛がベースであるということである。
・今、こうしてイエス様とともに聖霊をいただいて永遠の人生を歩めるのは、ひとえに神の憐みと愛があってのこと。その愛に気づかせていただいたことこそ恵みと思えてならない。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ローマ5:5   

2025年12月04日